山口県の観光スポット、穴場スポット、グルメ&お土産情報を紹介しています。桜や紅葉、四季の花々等、目的別の旅もおすすめ。

本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪

山口県の風景(萩市)

楫取素彦旧宅地

文政12年(1829)、萩藩医松島瑞璠の次男として生まれた楫取素彦(かとりもとひこ)。藩校明倫館で教授し、嘉永6年(1853)吉田松陰の妹寿(ひさ)と結婚。吉田松陰の再入獄後は後継者として、松下村塾でも指導にあたっています。

時期は定かではありませんが、素彦が住まいしたといわれる旧宅地が残されています。

楫取素彦旧宅地

東光寺から近い場所にある楫取素彦旧宅地。ほんの少し山の中に入るような感じ。

2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」の前年2014年11月に、東屋、園路、駐車場が整備されている。
楫取素彦旧宅地旧宅地ではあるけど、住居は現存していない。昭和12年(1937)に旧宅地から移築された茶室が約650m離れた広厳寺本堂の裏に残っているらしい。
楫取素彦旧宅地東屋では楫取素彦が紹介されている。楫取素彦は維新関連の人物としてはそれほど知名度は高くなかったんだけど、花燃ゆで一気に上がったよね。大沢たかおさんが格好良かったし。
楫取素彦旧宅地

楫取素彦についてもう少し補足すると、12歳の時に萩藩の儒者小田村吉平の養子となり小田村伊之助と名乗った。

慶応元年(1865)の四境戦争(幕長戦争)では幕府側と交渉にあたり、慶応3年(1867)に藩命により楫取素彦に改名した。
楫取素彦旧宅地明治9年(1876)、現在の県知事に当たる初代群馬県令となり、同17年(1884)まで蚕糸産業の振興や教育の充実に尽力。
楫取素彦旧宅地

明治14年(1881)寿と死別後、同16年(1883)に松陰の妹で久坂玄瑞の未亡人・文(美和子)と再婚した。

大正元年(1912)没、享年84。
小田村伊之助旧宅

萩城下町(伊勢屋横丁)には小田村伊之助旧宅地がある。小田村家は代々、萩藩明倫館の儒官を務めた家柄であり、楫取素彦は養父が没した弘化4年(1847)19歳の時に家督を相続、明倫館の講師となった。

楫取素彦旧宅同様、住居は残されていない。

ちょっと地味ではあるけど、萩城下町観光の際は立ち寄ってみてはいかがかな。
大楽寺ちなみに、楫取素彦と美和子の墓は防府市桑山の大楽寺にある。楫取夫妻は明治26年(1893)に防府市に移り住み三田尻で亡くなっているためだ。
楫取素彦夫妻の墓花燃ゆ撮影中に井上真央さんが2回ほどお参りに訪れている。
INDEX

楫取素彦旧宅地

旅をした日
2015年04月26日
2015年08月05日
2018年06月13日
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
東光寺
………………………………………最終更新日
2023/02/16
内容追記


アクセスマップ