山口県の観光スポット、穴場スポット、グルメ&お土産情報を紹介しています。桜や紅葉、四季の花々等、目的別の旅もおすすめ。

本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪

山口県の風景(阿武町)

佐々木小次郎の墓(遺髪墓)

慶長17年(1612)4月13日に巌流島の決闘で宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎の妻ユキはキリシタンの信者でしたが、徳川幕府のキリスト教禁令によるキリシタン迫害を逃れるために小次郎の遺髪を抱き、多くの信者とともに安全な居所を求めて山陰の地に逃れました。正法寺に身を寄せ尼となったユキは、夫・小次郎の菩提を弔うために墓を建てました。

当時懐妊中だったユキは生まれてくる我が子に対する因果応報の絆を断ち切るために、小次郎の名を「古志らう」と変えて墓に記したと云われています。

佐々木小次郎の墓へと続く道

阿武町福賀の山腹にあるということなので、アクセスはどうか不安でもあったけど、当時は墓までの山道は草も刈られて歩きやすく整備されていた。それでも夏は避けた方がよさそうな場所だ。

車は山道入口に1,2台は停められるスペースがある。
佐々木小次郎ゆかりの地 宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われた島・巌流島

佐々木小次郎の墓佐々木小次郎の墓

山道入口から約170m歩けば、佐々木小次郎の墓に到着。
墓前には真新しいお酒が供えられていた。
佐々木小次郎の墓佐々木小次郎の墓

そして、墓の側面には「佐々木古志らう」の文字が見える。「らう」辺りは土で見づらいが…2007年に訪れたとき、肝心な「佐々木古志らう」を確認し忘れたのは今ではいい思い出だ。
バテレン墓

小次郎の墓の上の段には、六面石憧一基があり、妻ユキが信じていたバテレン墓のようだ。

尼となって小次郎の墓を建てた妻ユキはその後、墓のすぐ下の庵で一生を終えたという。この庵は正法寺が太用寺に移った跡地に、ユキ尼が小さい庵を建てたとも言われている。
阿武町福賀佐々木姓の墓が多くあり、今でも佐々木姓を名乗る家が地区内に数件有り、末裔かとも言われているんだとか。
INDEX

佐々木小次郎の墓

旅をした日
2007年08月18日
2013年04月15日
………………………………………駐車場
無し
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
宇生賀のシベリアアヤメ
………………………………………最終更新日
2019/02/04
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