巌流島
巌流島は関門海峡に浮かぶ無人の小島。
正式な名称は、島の形が舟に似ていることから船島となっています。
慶長17年(1612)4月13日に、
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われた島として有名です。
武蔵に敗れた小次郎の流派「巌流」をとって、巌流島と呼ばれるようになりました。
カモンワーフまで来たなら必ず行っておきたい、
宮本武蔵と佐々木小次郎が雌雄を決した巌流島。
唐戸桟橋そばの関門汽船発券所で
巌流島上陸認定証が購入できるので、
旅の記念にしよう!
巌流島への上陸は、唐戸桟橋から
巌流島上陸クルージングへ乗船。
大人800円、小人400円。
巌流島の桟橋付近には
釣りデッキもある。
釣り目的で上陸する人も多いようだ。
片道10分なので、船の揺れが苦手な方でも大丈夫!…と思う。
なお、島にトイレはあっても売店はないので、飲物は前もって購入しておこう。。
ごみ箱はないので、必ず持ち帰ることが前提だけどね。
上陸クルージングには2階の展望デッキがあるので
乗り込んだ後はここからカモンワーフを眺めて
出発を待とう。
普段は船に乗ることなどほとんどないから
ワクワクしますな♪
クルージングの2階展望デッキの魅力は
360度の眺めと水しぶき。
水しぶきといっても濡れるほではなく、
ほんと小さな水滴がかかるくらいだ。
船内では見ることができない眺めを堪能できるので、展望デッキがおすすめ♪
関門大橋の正面を眺められるのも、展望デッキか巌流島しかないし。
ただ巌流島到着までは約10分と早いけど、真夏は暑くて10分でも体力消耗しちゃうかな。
船内はクーラーが効いているので、状況に応じて楽しんだほうがいいかも。
走行中は揺れが激しく席を立てないので、乗る前にどちらにするか決めておこう。
唐戸から出発して約10分、見えてきた巌流島。
正式な名称は、島の形が舟に似ていることから船島。
現在は無人島だけど、昭和48年までは人が住んでいたそうだ。
上陸に興奮しちゃうけど、船の揺れが大きいので確実に停泊してから席を立とう。
巌流島に上陸して
すぐにある休憩所。
ここでは、宮本武蔵や佐々木小次郎、巌流島の決闘の模様を知ることができる
説明文を引用しつつ簡単に紹介しておこう。
宮本武蔵
生まれは、兵庫県とも岡山県ともいわれています。
得意とする兵法は、大刀を右手に小刀を左手に持ち
自在に操る
二天一流。
わずか13歳にして初めての仕合をかわきりに、
数々の激戦を経験。
巌流島の決闘など、多くの仕合に勝ってきたが、
ほとんどが撲殺だともいわれています。
謎に包まれた天下無双、宮本武蔵。
佐々木小次郎
周防国岩国とも福井県足羽の生まれともいわれるが、
生年などほとんどが謎に包まれています。
剣の天才であり、自ら巌流という流派を興し、
刃渡り90センチ以上もある長刀を操り
小倉藩の指南役に抜擢される。
頭上から一気に降り下ろし
剣先をひるがえして下から切る「
燕返し」をもって
巌流島にて武蔵と対決す。
巌流島の決闘
慶長17年(1612)4月13日
仕合開始が午前8時にも関わらず陽が高く昇りきったころへ武蔵は舟島(巌流島)へ。
「
武蔵!遅参とは何事か。臆したか!」というや物干し竿を抜き放つ。
それを見た武蔵はにやりと笑いこう叫んだ。「
小次郎破れたり!」
下関と龍馬
巌流島は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘だけでなく、
坂本龍馬の逸話も残されている。
慶応3年(1867年)春、下関(本陣 伊藤邸)に
世帯を構えた
坂本龍馬とその妻
お龍。
ある夜、巌流島にこっそりと渡り、
花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。
休憩所の裏手にある鳥居は
舟島神社で、左に地神大神、右が龍神大神。
まずここでお参りしていくのがいいかもしれない。
宮本武蔵、佐々木小次郎の知識を得たら、
いざ巌流島の散策へ。
ちなみに決闘が行われた当時の巌流島は、
現在の1/6。
現在の広さは、明治から大正にかけて
埋め立て工事が行われたから。
整備された散策道をのんびり歩いてみよう。
休憩所から散策道を少し進んだ場所にある
巌流島文学碑。
原作・村上元三氏の「
佐々木小次郎」の一節と、
画家古舘充臣氏が描く、小次郎と武蔵の決闘の場面が描かれている。
「白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。
この後も、絶えず兎禰(とね)の眼に浮かんで消えることのないであろう
小次郎の生きている面影があった」
※兎禰(とね) 村上元三作「佐々木小次郎」に登場する小次郎の恋人。
背景には関門海峡と関門大橋も見えるので、ここで記念撮影をする方が多いかな。
関門海峡の真ん中から関門大橋を眺めることができる巌流島の散策道。
巌流島をすべて見て回った後もすぐに帰らず、ベンチでゆっくりしておくのもいいね♪
散策道から展望広場へ向かうと、関門海峡を背景にした
武蔵vs小次郎。
巌流島のシンボルでもあり、様々なサイトやパンフレット等の写真に使用されている。
小次郎の2002年12月11日除幕に対し、武蔵像は2003年4月14日に除幕。
武蔵が決闘に遅刻した史実に合わせてなのか…。
展望広場で巌流島の歴史を見ることもできる。
古代伝説に巌流島の決闘、プロレス興行等々。
二天記から要約された巌流島の決闘、
そして村上元三「
佐々木小次郎」からの抄出により、
決闘から小次郎の死までがよく分かり面白い。
本州と九州の間は陸続きでその下に湖の流れる穴があったが、
長年の侵食と地殻変動によりいつの時代にか陥没。
その流れた土壌が船島になったと平田説を公表、それまでは本居宣長の「古事記伝」に書いた
「土壌が流れて引島に」や大同小異の伝説があった。
島名は、下関側で「舟島(現在は船島)」、小倉側で「向島」と
それぞれ違った呼び方が受け継がれることになる。
(石碑の古代伝説より)
・
慶長17年(1612)4月13日(12・14日説あり)
宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘
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嘉永2年(1849)7月
吉田松陰が下関周辺を視察した際に、巌流島へ上陸。
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明治43年(1910)10月31日
佐々木小次郎の碑が島に建立される。
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大正10年(1921)11月2日
斎藤茂吉(歌人)が渡欧の途中に島へ渡る。
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昭和30年(1955)
巌流島の住民がピーク時約30軒になる(50軒近いとの説あり)
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昭和48年(1973)
島に残っていた老人一人が島を去り、住居者0になる。
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昭和62年(1987)10月4日
巌流島にてアントニオ猪木とマサ斎藤のプロレス(夜のデスマッチ)興行。
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平成2年(1990)9月30日
巌流島にて岡山県大原町(武蔵出生地説)と福井県今立町(小次郎誕生地説)が、
下関・熊本両市長立会いのもと、姉妹縁組に調印。
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平成15年(2003)
巌流島整備事業完工。
NHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」放映。
展望広場の下には
人工海浜があり、決闘の場所をイメージしている。
浜辺には武蔵が乗ってきた舟も再現されているので、じっくり見てみよう。
そういえば何年か前に、三脚を立てて武蔵のように漕ぐシーンを記念撮影していた
一人旅の方を見たな。きっと良い思い出になっただろう♪
人工海浜できれいな白浜だけど、遊泳は禁止。
景色だけを楽もう。
人工海浜の先にも散策道は延びている。
散策道の先には休憩所しかないけど、
関門海峡と北九州の眺めは良い。
時間があるならば歩いてみることをおすすめします
一通り散策が終われば、
松林の中の散策度を通って、桟橋まで戻る。
木々の間から見える海峡が美しい。
そして最後の楽しみ?というか見てみたい存在が
巌流必勝たぬき。
巌流島には野生のたぬきが住んでいるんだよ♪
近くの彦島から泳いできたという説があるみたい。
タヌキは他を抜くといわれ、勝負には縁起のよい動物なので、必勝たぬきなのだ。
過去3度巌流島に来たけど、まだ一度も見ていないな…。
島の半分は私有地で立ち入れないので、見つけるのは難しいかも。
訪れた際はぜひ探してみるといいだろう。
行きは2階展望デッキだったので、帰りは船内で。
この日はかなり暑かったので、
これ以上炎天下は無理でした…。
船内はクーラーが効いているので快適だ。
船内から関門海峡の眺めは、波しぶきによって見づらいが…。
顔付近まで窓に打ちつける波が迫力があっていい感じ♪
今回の巌流島はゆっくり見て回ったので、
約2時間の散策だった。
島に上陸した瞬間の高揚感が好きなので、
また来年の夏に行ってみますか♪
今度こそたぬきを見てみたいものだ。
おっと、忘れるところだった。
唐戸桟橋そばの関門汽船発券所で
巌流島上陸認定証が購入できるので
旅の記念にしよう。
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