本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
下関市街地の小高い丘に位置し、関門海峡が一望できる日和山(ひよりやま)公園。大正天皇御即位の記念公園として造られ、下関市で最も古い公園です。
桜の名所としても有名で、高杉晋作陶像を囲むように約210本の桜が咲き誇ります。![]()
さあ、久しぶりに旅をしてきた日和山公園。前回の旅から実に16年ぶり! 山口県の旅の中でも、旅の開きが長い名所の一つであろう。
日和山公園は大正天皇御即位の記念公園として造られ、下関市で最も古い公園。そういうワケもあってか専用の駐車場はない。
旅をする際は、周辺の有料の市営駐車場等を利用するしかない。この旅は紅葉稲荷神社近くのコインパーキング(サンパーキング)を利用した。
電車を利用した際の最寄りは下関駅で 、駅から徒歩は15~20分ってところかな。
日和山公園は、関門海峡を一望できる楽しみがある公園なんだけど、歩き旅が必要なことを考えると季節は絞った方がいいように思う。
となると、園内で約210本の桜が咲き誇る春がおすすめか。
日和山公園は高杉晋作陶像を囲むように桜が咲いている。
高杉晋作陶像は、昭和31年(1956)に没後90年を記念して建立された。夜にはライトアップ(18:00~21:30)もされている。
高杉晋作(1839~1867)
天保10年8月20日、萩藩大組士・高杉小忠太の長男として生まれる。幼少時は私塾に学び、後に藩校明倫館、19歳で松下村塾に入門。その後頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称される。
1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊による攻撃での敗北、禁門の変の敗走により、藩内は俗論派(保守派)が実権を握り、幕府に恭順の意を示すために攘夷派に対して粛正を始める。
萩藩新地会所を急襲後は、品川弥二郎や山田顕義なども呼応し、最後まで時期尚早と決起に反対していた山縣狂介(後の山縣有朋)も合流し、俗論派を退けることに成功する。
その後、藩論を「武備恭順(表向きは幕府に従うが、武備は増強)」に統一し、一気に倒幕へと突き進む。
慶応2年(1866)年6月、第二次長州征伐(四境戦争)が始まると、晋作は海軍総督として小倉口で活躍。
しかし、持病の肺結核が悪化し戦線離脱。翌年の4月14日に下関市新地にて討幕を見ることなく死去。享年29。
写真は「高杉晋作終焉の地」
日和山公園からは海峡ゆめタワーが見える。
関門海峡のランドマークでもある、海峡ゆめタワーの高さは153m。頂上球形総ガラス張り展望室は世界初で、その展望室(地上143m)からは、関門海峡、巌流島、響灘、九州と、360度の景観が楽しめるようになっている。
日和山公園は桜と海峡ゆめタワー、そして関門海峡、北九州が一緒に撮れる好スポット!
日和山公園はそれほど大きくはないので、桜が密集して気持ちがいい。
夜桜が楽しめ(18:00~21:30)、海峡ゆめタワーのライトアップ、関門海峡の夜景も楽しめる日和山公園。
やっぱり駐車場が無いのが惜しいな。