本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
幕末の風雲児として知られる高杉晋作の誕生地。現在公開されている敷地は南半分で、現存する建物では座敷、次の間、居間、小室三畳、玄関が残されており、裏庭には産湯に使ったとされる井戸などが残されています。
高杉晋作(1839~1867)文久2年(1862)、藩命により情勢視察で上海へ渡航。欧米による支配を目の当たりにし、日本も同じ憂いき目をみるのではないかと危機感を募らせ、翌年久坂玄瑞らと共に攘夷運動を行う。
下級武士や庶民など身分を問わない軍事組織「奇兵隊」を結成。初代総督になる。1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊による攻撃での敗北、禁門の変の敗走により、藩内は俗論派(保守派)が実権を握り、幕府に恭順の意を示すために攘夷派に対して粛正を始める。
身の危険を感じた晋作は九州に逃れるも、再び下関に戻ると功山寺に落ちのびていた三条実美ら卿を前に、「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と告げ、12月16日に功山寺にてわずか84名で決起。
萩藩新地会所を急襲後は、品川弥二郎や山田顕義なども呼応し、最後まで時期尚早と決起に反対していた山縣狂介(後の山縣有朋)も合流し、俗論派を退けることに成功する。その後、藩論を「武備恭順(表向きは幕府に従うが、武備は増強)」に統一し、一気に倒幕へと突き進む。
慶応2年(1866)年6月、第二次長州征伐(四境戦争)が始まると、晋作は海軍総督として小倉口で活躍。
しかし、持病の肺結核が悪化し戦線離脱。
翌年の4月14日に下関市新地にて討幕を見ることなく死去。享年29。
スタンプ台も設置されているので、旅の記念に押しておこう。
台紙は用紙しておいた方がいいが、持ち合わせていなくても受付でもらえる「高杉晋作略伝」に押しておくといいだろう。こちらは下関市の城下町長府にあるアンティーク&オールディーズ 喫茶室で晋作ラテ。
お茶の名産地である星野村の高級抹茶を贅沢に使った抹茶ラテ。ココアパウダーの甘みと抹茶の渋みの合わさりがいい感じ♪ 龍馬ラテもある。高杉晋作誕生地
旅をした日
2005年08月08日
2006年10月07日
2012年07月29日
2018年06月13日
………………………………………営業時間
9:00~17:00
………………………………………定休日
不定休
………………………………………料金
100円
………………………………………駐車場(最寄り)
中央公園駐車場(有料)
萩博物館駐車場(有料)
………………………………………日本百選(菊屋横丁)
日本の道100選(1986)
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
萩城下町
菊屋家住宅
木戸孝充旧宅
青木周弼旧宅
円政寺
………………………………………高杉晋作関連名所
松陰神社・松下村塾(萩市)
円政寺(萩市)
功山寺の桜(下関市)
功山寺の紅葉(下関市)
東行庵の梅と桜(下関市)
東行庵の花菖蒲(下関市)
東行庵の紅葉(下関市)
日和山公園(下関市)
高杉晋作終焉の地(下関市)
高杉晋作療養の地(下関市)
………………………………………最終更新日
2020/08/24
内容一部変更