本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
嘉歴2年(1327)に創建され、長福寺と号した功山寺。長府毛利藩主の菩提寺の一つ。境内にある仏殿は鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で、我国最古の物です。高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、境内には高杉晋作回天義挙銅像も置かれています。
そんな歴史深い功山寺は、春は桜、秋は紅葉の名所となり、山門と紅葉のコントラストは見事な美しさ。長府の城下町見て歩きコースの一つでもあり、観光客の多い寺となっています
功山寺は紅葉の名所としても知られ、山門と紅葉のコントラストが美しい。毎年山門前だけ色付きが遅いけどね境内にある仏殿は鎌倉時代建立の代表的な木造の禅宗様建築で、我国最古の物で国宝。
仏殿は来迎柱の上部に黒書があり、そこには「此堂元応2年(1320)卯月5日柱立」と記されているようだ。高杉晋作が挙兵した寺として有名な功山寺。
1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊による攻撃での敗北、禁門の変の敗走により、藩内は俗論派(保守派)が実権を握り、幕府に恭順の意を示すために攘夷派に対して粛正を始める。
「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と告げ、12月16日に功山寺にてわずか84名で決起。
萩藩新地会所を急襲後は、品川弥二郎や山田顕義なども呼応し、最後まで時期尚早と決起に反対していた山縣狂介(後の山縣有朋)も合流し、俗論派を退けることに成功する。その後、藩論を「武備恭順(表向きは幕府に従うが、武備は増強)」に統一し、一気に倒幕へと突き進む。慶応2年(1866)年6月、第二次長州征伐(四境戦争)が始まると晋作は海軍総督として小倉口で活躍。しかし、持病の肺結核が悪化し戦線離脱。翌年の4月1日に下関市新地にて討幕を見ることなく死去。享年29。
功山寺挙兵がなければ、明治維新は30年も遅れていたと言われ、後に伊藤博文は晋作を「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし」と評している。「おもしろき こともなき 世におもしろく」
高杉晋作が詠んだ句だが、下の句に「すみなすものは 心なりけり」と続く。
これは野村望東尼(のむらもとに)が詠んだとされている。
功山寺名水
国宝の仏殿周辺では湧水が多く、病災消除、延命の名水として知られている。
功山寺の大楠
功山寺山門横にある大槇で、幹回り3.5m、高さ35m。樹齢は定かでないものの、国宝仏殿の丸柱と同じ年代と見られているそうだ。ということは、1320年頃か。様々な歴史を見てきたのだな、この樹は。
功山寺の紅葉
旅をした日
2005年11月26日
2007年11月25日
2012年10月29日
2012年11月21日
………………………………………拝観料金
境内自由
書院・庭園拝観は300円
………………………………………拝観時間
境内自由
書院・庭園9:30~16:30
………………………………………駐車場
有り
………………………………………功山寺の見どころ
桜
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
壇具川の桜とマガモたち
長府毛利邸の紅葉
覚苑寺の紅葉
長府庭園の花菖蒲と紫陽花
長府庭園の紅葉
………………………………………最終更新日
2024/07/24
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