本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
初代内閣総理大臣として知られる伊藤博文が生まれた地であり、生家一帯は伊藤公記念公園として整備されています。園内には伊藤公資料館、旧伊藤博文邸、伊藤公の生家や産湯の井戸が残されています。
伊藤博文(1841~1909)1863年に長州ファイブとして英国留学をした際に英語を覚えており、この「英語力」が総理大臣就任への決定的な要因とも言われている。
なお、初代総理大臣就任時は44歳という若さであり、歴代総理大臣の中で最も若くして就任した人物。在職通算日数は2,720日。もう知らない世代も多い、伊藤博文の千円札。記念撮影用に顔出しパネルになっている。ちなみに、伊藤博文の千円札が発行されたのは、1963年11月1日から1986年1月4日。
自分は、伊藤博文の千円札は記念に数枚持っている程度で、使用したのは夏目漱石の世代ですな。さて、こちらは園内にある伊藤博文が生まれ育った生家。松下村塾門下生なので萩出身というイメージを持つ人も多いと思うが、周防国熊毛郡束荷村(現光市束荷)である。
8歳で萩に移住した翌年に暴風雨により倒壊したが、大正8年(1919)「伊藤公爵遺跡保存会」によって復元された。伊藤博文は天保12(1841)9月。林十蔵と琴子の一人息子で生まれ、幼名は利助。6歳までこの家で過ごしている。
13歳のときに萩の伊藤家に養子になったことから伊藤姓に変わっている。明治風建築の資料館では、伊藤公の遺品等の展示や公の業績が紹介されている。白黒ではあるが、映像資料は一見の価値あり。
入口では伊藤博文のテレカも販売されていた。テレカというこれまたレアで一見の価値あり。伊藤公自らが基本設計を行った旧伊藤博文邸。しかし明治42年(1909)10月、完成を見ることなく凶弾に倒れた。
伊藤広場は高い位置にあるので、園内全体を見下ろすことができる。長州ファイブ時代の伊藤博文(右端)。文久3年(1863)、英国に密航留学した長州出身の5人。パネル等は萩市の明倫学舎等で撮ることができる。
伊藤公資料館でも見ることはできたと思うが、写真が撮れないので記憶は定かではないなあ。伊藤公記念公園
旅をした日
2006年06月20日
2006年11月20日
2007年10月01日
2013年11月14日
2018年05月20日
………………………………………営業時間(伊藤公資料館)
9:00~17:00
………………………………………休館日(伊藤公資料館)
月曜日・年末年始
………………………………………入館料(伊藤公資料館)
大人:260円
高校生以下は無料
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
東繕寺川河川公園
………………………………………最終更新日
2024/10/22
新しく追加