本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
文政8年(1825)周防国吉敷郡鋳銭司村(現山口市鋳銭司)に長男として生まれた大村益次郎。この地は大村益次郎の先祖が代々居住したところでしたが、一家は益次郎出生後3年で父の実家のある秋穂天田に移り、生家は解き払われました。
現在跡地は公園化され、大正4年(1915)に建てられた石碑のみが残されています。
大村益次郎は蘭学、漢学、さらには大阪の緒方洪庵について洋学、医学を学ぶ。
安政3年(1856)に江戸で塾を開き、翌年に幕府の講武所教授となる(※講武所・江戸幕府が設置した武芸訓練所)維新後は木戸孝允、大久保利通と並び新政府の幹部となり、軍政を改革し国軍の建設に尽力した。
明治2年(1869)9月4日、京都において軍政改革に反対する士族8人に襲撃され重傷を負う。治療を受け続けるも敗血症のため同年11月5日に死去。享年44。大村益次郎生誕宅跡は公園化されており、山縣有朋筆の石碑と誕生宅跡の説明板がある。あと、少しだけだが桜も植えられている。
遺構は残されていないけど、昭和51年(1976)に山口市の文化財に指定されている。山縣有朋筆の石碑。
旅の計画に入れる名所としてはちょっと地味なので、近くまで来たらちょっと立ち寄りって感じでいいかな。幕末ファンは忘れずに必ず立ち寄ろう。大村益次郎生誕宅跡
旅をした日
2011年03月31日
2011年04月05日
2018年03月31日
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
鋳銭司郷土館
大村神社
両足寺の紅葉とツワブキ
………………………………………最終更新日
2022/08/21
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