本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
文化14年(1817)、周防の妙円寺に生まれた月性(げっしょう)。清狂(せいきょう)と称し、詩人、または海防僧として幕末期に多くの人々に影響を与えた人物として知られています。嘉永元年(1848)に妙円寺境内で清狂草堂(せいきょうそうどう)を開塾し、「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称されました。
妙円寺は慶応2年(1866)に起こった長州藩と幕府との戦い「第二次長州征伐」の大島口の戦いで、第二奇兵隊の本陣となった場所としても知られています。
月性(1817~1858)
月性は妙円寺の住職であり、詩人、教育者、剣術等の才知に長けた文武両道の人物として知られる。
左奥から久坂玄瑞、吉田松陰、月性、手前の女性は文かな。草堂では、奇兵隊で活躍する赤禰武人や、世良修蔵らが学んでいるが、一時的に久坂玄瑞も学んでいる。
月性は吉田松陰より13歳年上であり交流もあった。吉田松陰も月性の考えの影響を受けている。山門をくぐるとすぐ右手には月性展示館がある。月性に関わる書画や巻軸等展示されており、希望すればボランティアガイドが館内を案内してくれる。
月性展示館は明治維新百年記念事業の一環として、昭和45年(1970)11月に建てられている。9時~16時で、入館料は200円。高校生以下無料。遠方からでも入塾する者が多く、幕末維新に影響を残した人材を多く輩出している。よって「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称されている。
吉田松陰も月性の考えに感化された人物の一人で、討幕に進んだ門下生を多く輩出している。妙円寺本堂。慶応2年(1866)に起こった長州藩と幕府との戦い「第二次長州征伐」の大島口の戦い(四境戦争)で、第二奇兵隊の本陣となった場所でもある。
大島口は現在の周防大島町で、長州藩と松山藩が激突。月性の門下生も多く参加している。月性自信は安政5年(1858年)に42歳で病死しているため、大島口の戦いに参加していない。
県内での知名度は低いように感じる月性だけど、幕末維新に多大な影響を与えた人物であった。妙円寺
旅をした日
2018年05月20日
………………………………………営業時間(月性展示館)
9:00~16:00
………………………………………休館日(月性展示館
月曜日・年末年始
………………………………………入館料(月性展示館
大人:200円
高校生以下:無料
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
大畠ふれあいビーチ
………………………………………最終更新日
2024/08/29
新しく追加