本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
旧油谷町(現長門市)は本州最西北端の町で、楊貴妃ゆかりの地としても知られています。中国風の公園に整備された楊貴妃の里には楊貴妃の墓と伝られている五輪の塔があり、楊貴妃の没年齢38歳にあやかり、3.8mの楊貴妃像が静かに佇んでいます。
中国風の公園として整備されている楊貴妃の里。静かすぎるからなのか、旅をした回数以上に印象に残っているんだよなあ。中国風の公園になっているのは、長門市油谷は中国唐代の皇妃・楊貴妃の終焉の地という伝説があることによるものだろう。
楊貴妃は、755年から763年にかけて起こった安史の乱で処刑されたというのが定説になっているが、小舟で脱出し、756年7月に油谷の向津具半島の唐渡口に流れ着いたというもの。園内に入ると楊貴妃像が迎えてくれる。高さは没年齢にあやかり3.8mで、楊貴妃最期の地とされる唐の都・長安(現在の西安)近郊の馬嵬坡(ばかいは)と同じもの。
楊貴妃は世界三大美女として有名だけど、実のところ肖像画などは残っておらず、本当に美女だったかどうかは不明らしい。太っていたという説もある。さて、処刑を逃れ唐渡口に流れ着いた楊貴妃だったが息も絶え絶えで、里人の看護も空しく間もなく息を引き取ったという。
里人は西の海が見える久津の丘の上に葬り、それが現在の二尊院の境内にある五輪の塔と云われている。二尊院は楊貴妃の里に隣接。
楊貴妃の菩提を菩提を弔うために安置された国指定重要文化財本尊二尊仏(阿弥陀如来立像・釈迦如来立像)が祀られている。
唐の玄宗皇帝は愛妃楊貴妃の死に悲しみの日々を過ごしていたが(安史の乱でやむなく楊貴妃の処刑を決めたのは玄宗皇帝であるが、誰一人として処刑の瞬間を見ておらず遺体も確認されていない。皇帝のあまりの悲しみようは見るに忍びなく、近衛隊長が密かに舟で脱出させていたというのが伝説の始まり)、ある夜不思議な夢を見たという。
その夢は、楊貴妃が枕元に現れ自分が日本に流れ着いたこと、手厚く看護をしてもらったが間もなくこの世の者ではなくなったことを伝えるものだったという。
玄宗皇帝は、楊貴妃の霊を弔ろうために阿弥陀如来と釈迦如来の2体の仏様と十三重の大宝塔を使者に持たし日本へ遣わした。しかし楊貴妃の漂流地が分からず、やむなく京都の清涼寺へ預け帰国。
後に楊貴妃の墓が長門の国の向津具にあることを知り、二尊仏を移すように命じるも、清涼寺では預けられた二尊仏は評判が高まっており、手放すのが惜しくなった。なんとかこのまま京都に置いておくように朝廷に嘆願すると、朝廷は仏工の名手に命じ、そっくりの2体の仏様を造らせ、1体ずつを2つの寺で分け合って安置させたという。楊貴妃伝説、ロマンがあるよね。
お墓にお参りした後は、のんびり海を眺める。冒頭でも言ったけど、楊貴妃の里は異空間とも思えるほど静寂に包まれている(個人的な感想です)。強く印象に残る公園だ。こちらは、ミニ華清池。
華清池とは楊貴妃が大好きだった広大な温泉地のことでミニ華清池はそれをイメージしたもの。
楊貴妃の里
旅をした日
2005年04月01日
2009年08月27日
2015年06月21日
………………………………………駐車場
有り(無料)
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
向徳寺のあじさい
大浜海水浴場
巨人(おおひと)の足跡
川尻岬
………………………………………最終更新日
2020/09/05
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