山口県の観光スポット、穴場スポット、グルメ&お土産情報を紹介しています。桜や紅葉、四季の花々等、目的別の旅もおすすめ。

本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪

山口県の風景(萩市)

吉田稔麿誕生地

16歳で吉田松陰主宰の松下村塾門下生となり、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一ともに松門の四天王と称された吉田稔麿(よしだ としまろ)。

誕生地は松下村塾から徒歩3分の場所にあり、現在は石碑のみ残されています。

吉田稔麿(1841~1864)
天保12年(1841)、萩藩足軽・吉田清内の長男として誕生し、安政3年(1856)、16歳で松下村塾に入門。熱心に勉学に励み、才気は松陰からも高く評価された。

松陰が老中の間部詮勝(まなべ あきかつ)の暗殺を計画し再び野山獄に投ぜられると、釈放運動を起こし謹慎。以後は親のいいつけを守り松陰と距離を置くようになり、松陰が江戸へ送られる際には塀の穴からひそかに見送った。

松陰の死後は一度脱藩するが、2年後には帰藩。文久3年(1863)、高杉晋作創設の奇兵隊に参加。元治元年(1864)、京都の池田屋で会談に加わっていたところ、新撰組に襲撃される。享年24。

稔麿の最期は諸説があり、
・長州藩邸へ事変を知らせ、再び池田屋に戻って槍で奮戦するも討死。
・池田屋から一旦離れて長州藩邸に戻り、再び池田屋に向かう際に加賀藩邸前、又は長州藩邸前で会津藩士に襲撃されて討死。
・池田屋で襲撃された後に長州藩邸に戻るも、門が開けられなかったため、門前で自刃。
吉田稔麿誕生地

吉田稔麿誕生地は、現在石碑のみが残されている。松陰神社から徒歩数分で行ける場所なので、立ち寄ってみるといいだろう。

歩く体力があるならそのまま伊藤博文旧宅、玉木文之進旧宅を見て回るのがおすすめ。
吉田稔麿の墓吉田稔麿の墓は吉田松陰誕生地横の墓所にある。ここまで歩いてくることも可能。歩くのが好きならば、周辺を歩いて東光寺等も見て回るといいだろう。
INDEX

吉田稔麿誕生地

旅をした日
2015年04月26日
………………………………………駐車場
無し
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
松陰神社・松下村塾
松浦松洞誕生地
伊藤博文旧宅
玉木文之進旧宅
吉田松陰誕生地
東光寺
………………………………………最終更新日
2021/01/08
内容一部変更


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