大寧寺
応永17年(1410)、大内氏氏族の鷲頭弘忠が建立した、かつては「西の高野」と呼ばれた曹洞宗の古刹、大寧寺(本堂は文政12年(1829)に再建されたものです)。室町時代に西国の覇者大内義隆が、1551年に重臣・陶晴賢の謀反によって自刃した寺としても知られ、大内義隆主徒の墓、姿見の池、甲掛岩など大内氏ゆかりの史跡も残っています
また、境内には150本の桜が咲き、ライトアップも行われています。
長門市大寧寺と聞けば、まあほんどの人が
紅葉名所と思うのだろうが、
桜の名所としても知られている。
特に長門豊川稲荷周辺がきれいだと思う。朱色の鳥居と桜が合っているように感じる。
昭和36年(1961)に愛知県妙巖寺の豊川稲荷のご分霊を勧請して創建された長門豊川稲荷。
大寧寺の桜は2006年にホームページで更新していたんだけど、2013年のリニューアル時に更新し忘れていたんだよね(笑)
しかも2006年旅の写真を消失してしまっているから、大寧寺は色々印象に残っている名所なんだよなあ。
大寧寺で桜旅をしたなら長門豊川稲荷から撮影してみよう。ここで桜を撮る人が多いぞ。
開花中は夜桜ライトアップも行われる。桜の季節に湯本温泉に泊まってみるのもいいかもしれないね。
桜が終わると次は新緑の大寧寺。俵山のしゃくなげ園を見た後に、新緑の中をぶらぶら歩いてみた。
大寧寺は県内屈指の紅葉名所でもあるから、モミジの新緑の見応えがすごいんだよね。新緑名所としても県内屈指ではないだろうか。
大内義隆は、重臣・陶晴賢の反逆によって山口を追われ、天文20年(1551)9月1日に大寧寺で自刃。義隆は境内に入る前に乱れた髪を整えようと参道わきの岩にかぶとを掛け、そばの池に顔を映そうとしたが水面に自分の姿が映らず、運命を悟った義隆は寺の本堂に入り、いさぎよく自刃したといわれている。写真左が甲掛岩、右が姿見の池。
「自分の顔が映らなかったらどうしよ…」なんて思いながら覗いているところを旅相棒に激写されてしまった! 義隆は本堂に入って自刃したが、俺は潔くはないので、もし顔が映らなかったときは本堂に入ってきっと住職にこう尋ねるだろう。
「どうすれば助かりますか?」
往生際の悪い奴め!
大内義隆墓所へと向かう石段の途中には経蔵跡がある。これは、義隆の重臣・冷泉隆豊が最後まで踏みとどまって力戦奮闘するも遂に力尽きて割腹自害し、血痕滴るはらわたを投げつけたと伝えられる場所だ。
辞世
見よや立つ煙も雲も半空に さそいし風の音も残らず
室町時代の西国の覇者・大内義隆とその家臣の墓。大寧寺境内の山腹で静かに眠っている。
大内ゆかりの史跡を楽しみつつ、大好きな新緑を堪能。県内屈指の紅葉名所でもあるので、モミジの新緑が眩しく輝く。新緑ライトアップなんてどうですか?(笑)
石彫・釈迦三尊及び十六羅漢像。造立年は不明だけど、「防長風土注進案」の記述から推測して延宝5年(1677)益田氏による山門再建と同時期と考えられている。
紅葉の撮影の定番スポット。
大寧寺川とモミジも秋の定番スポットだよね。新緑も引けを取らない美しさだと思う。
紅葉のシーズンは東屋でご飯を食べている人をよく見かける。
本堂前の池では鯉が泳いでいる。こちらも秋になると散ったモミジが池に浮かんで鯉と一緒に撮影ができる。
防長三奇橋のひとつ、盤石橋。大小様々な石を組み合わせてつくられた橋で、1668年に架けられ、1764年に再建されている。
新緑を楽しむなら近くの
俵山しゃくなげ園とセットにするといいかもしれないね。
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