本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
応永17年(1410)、大内氏氏族の鷲頭弘忠が建立した、かつては「西の高野」と呼ばれた曹洞宗の古刹、大寧寺(本堂は文政12年(1829)に再建されたものです)。室町時代に西国の覇者大内義隆が、1551年に重臣・陶晴賢の謀反によって自刃した寺としても知られ、大内義隆主徒の墓、姿見の池、甲掛岩など大内氏ゆかりの史跡も残っています
また、境内には120本の桜が咲き、ライトアップも行われています。![]()


特に長門豊川稲荷周辺がきれいだと思う。朱色の鳥居と桜が合っているように感じる。
昭和36年(1961)に愛知県妙巖寺の豊川稲荷のご分霊を勧請して創建された長門豊川稲荷。


長門豊川稲荷参道の神社のぼりと桜は雰囲気があっていね。
大寧寺で桜旅をしたなら長門豊川稲荷から撮影してみよう。ここで桜を撮る人が多いぞ。
開花中は夜桜ライトアップも行われる。桜の季節に湯本温泉に泊まってみるのもいいかもしれないね。
桜が終わると次は新緑の大寧寺。俵山のしゃくなげ園を見た後に、新緑の中をぶらぶら歩いてみた。
大寧寺は県内屈指の紅葉名所でもあるから、モミジの新緑の見応えがすごいんだよね。新緑名所としても県内屈指ではないだろうか。



「自分の顔が映らなかったらどうしよ…」なんて思いながら覗いているところを旅相棒に激写されてしまった! 義隆は本堂に入って自刃したが、俺は潔くはないので、もし顔が映らなかったときは本堂に入ってきっと住職にこう尋ねるだろう。
「どうすれば助かりますか?」
大内義隆墓所へと向かう石段の途中には経蔵跡がある。これは、義隆の重臣・冷泉隆豊が最後まで踏みとどまって力戦奮闘するも遂に力尽きて割腹自害し、血痕滴るはらわたを投げつけたと伝えられる場所だ。
辞世
室町時代の西国の覇者・大内義隆とその家臣の墓。大寧寺境内の山腹で静かに眠っている。



石彫・釈迦三尊及び十六羅漢像。造立年は不明だけど、「防長風土注進案」の記述から推測して延宝5年(1677)益田氏による山門再建と同時期と考えられている。
紅葉の撮影の定番スポット。

紅葉のシーズンは東屋でご飯を食べている人をよく見かける。


防長三奇橋のひとつ、盤石橋。大小様々な石を組み合わせてつくられた橋で、1668年に架けられ、1764年に再建されている。

