山口県の観光スポット、穴場スポット、グルメ&お土産情報を紹介しています。桜や紅葉、四季の花々等、目的別の旅もおすすめ。

本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪

山口県の風景(下関市)

勝山御殿跡の桜

勝山御殿は、幕末の外国艦隊からの攻撃に備えた長府藩の拠点城郭で、第13第藩主・毛利元周(もとかね)が本拠としました。現在は勝山御殿跡を保存、利用した勝山地区公園として整備されており、桜の名所にもなっています。

勝山御殿跡の桜

かつては毛利元周が居館した勝山御殿。御殿は残されてはいないが、石垣は良好な状態のまま残されている。

現在は石垣を活かした勝山地区公園として整備されている。園内は桜が多く、花見にも適している。
勝山御殿跡の桜

文久3年(1863)、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカ四国との武力衝突事件が起こる。いわゆる下関戦争だ。

当時、長府藩の居館は櫛崎城跡にあったが、海に面して無防備であり、外国からの報復に備えて内陸に築かれたのが勝山御殿だ。
勝山御殿跡の桜

報復に備えるため急ぐ必要があったとはいえ、武力衝突の翌月6月から造営が始まり、翌年の2月1日には居城という早さに驚きだ。

造営される間、毛利元周は居館を離れ、覚苑寺に仮住まいしている。
勝山御殿跡の桜

さて、勝山御殿は戦いに備えた城であったが、なぜ御殿と呼ばれたのか。それは元和元年(1615)に一国一城令を制定した江戸幕府を欺くためだと云われている。

長府藩には萩城があったからね。ちなみに、櫛崎城や岩国城はこの一国一城令で廃城になっている。
勝山御殿跡の桜

明治に入り長府藩は豊浦藩に改められ、勝山御殿が藩庁となった。廃藩置県後は豊浦県を経て山口県になり、勝山御殿の役目は終えた。

勝山御殿が解体されたのは明治6年(1873)で、勝山御殿玄関部分が覚苑寺の庫裏として移築されている。
勝山御殿跡の桜令和元年(2019)2月、勝山御殿跡は歴史的重要性から、国の史跡に指定された。
勝山御殿跡の桜

勝山地区公園は、自由に遊べる広場、わんぱく広場、自由広場(三の丸)、お花畑と憩いの広場(二の丸)、さえずりの森、ふれあい広場(本丸)、緑の広場(本丸奥)で構成される。

ふれあい広場は広大なので、ボール遊び等に適している。
勝山御殿跡の桜勝山御殿は小高い場所に位置しているため、眺めも良かっただろう。今もふれあい広場から田倉御殿町を眺めることができる。
勝山御殿跡の桜桜の本数は分からないけど、見応えのある名所だと思う。夜のライトアップはないようだ。
勝山御殿跡跡の桜

駐車場周辺の桜も多くて気持ちがいい。駐車台数が24台と若干少ないのが気になるかな。

桜目的の旅なら、なるべく早い時間帯を計画しておくといいだろう。
勝山御殿跡の桜観光案内板では、発掘調査の模様が写真付きで紹介されている。史跡巡りが好きな人にはおすすめの場所かもしれない。
INDEX

勝山御殿跡の桜

旅をした日
2022年04月04日
………………………………………駐車場
有り
………………………………………周辺の立ち寄りスポット

………………………………………最終更新日
2026/03/08
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