本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
元々は応永11年(1404)に大内盛見が祈願所として建立した国清寺跡で、大内氏滅亡後は毛利隆元の菩提寺、後に毛利元就の菩提寺となり洞春寺(とうしゅんじ)と称しています。山門は国清寺創建当時のものといわれ、全国的にも数少ない大変貴重な四脚門です。
本堂裏の墓地には井上馨(いのうえ かおる)の分霊塔も建立されており、秋には周辺のモミジがきれいに色付きます。
洞春寺は香山公園隣にあるので、瑠璃光寺五重塔等を見た後に歩いても行ける。駐車場も香山公園の駐車場を利用できる。近いのは県庁側の第2駐車場。
まず国清寺創建当時(1404年)から残る山門・四脚門を眺めてみる。この四脚門は全国的にも数少ない大変貴重なものなんだって。国指定重要文化財。この山門から中門、本堂までは少し距離がある。国清寺は大火で焼失しているらしいんだけど、山門は離れていたので難を逃れたらしい。
洞春寺の中門。洞春寺観音堂は、永享2年(1430)に大内持盛を開基とする滝の観音寺の仏殿として創建されたもので、大正4年に洞春寺境内に移されている。国指定重要文化財。
観音寺は大内義弘の子、持盛が豊前国篠崎で戦死した後の菩提寺。観音堂左手前にあるのが、ボダイジュ(菩提樹)。日本には1191年に臨済宗の開祖・栄西禅師が中国から帰る際に、天台山から種子を持ち帰り筑前の香椎の宮に植えられたものから全国に広まったと伝えられている。
洞春寺には昭和初期に東京都八王子市の廣園寺から移植されたもの。井上馨の分霊塔と紅葉だ。
井上馨(いのうえ かおる) 1836~1915
現・山口市湯田で中級藩士に生まれた井上馨は、嘉永4年(1851)に明倫館に入学(松下村塾門下生ではない)。
文久2年(1862)、過激な攘夷活動(武力行使で外国人を退けること)に身を投じていた井上は、久坂玄瑞、高杉晋作らとイギリス公使館焼き討ちに参加。
しかし翌年には、伊藤博文・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助とともに長州五傑(長州ファイブ)の1人としてイギリスへ秘密留学し、国力の違いを目の当たりにして開国攘夷派に傾いていった(井上馨は左下・萩市明倫学舎より) 。帰国後は椋梨藤太ら保守派(俗論派)が実権を掌握。第一次長州征伐の際は武備恭順(表向きは幕府に従うが、武備は増強)を訴え俗論派の襲撃を受け瀕死の重傷を負う。
手術により一命をとりとめ、療養後は高杉晋作の「功山寺決起」に応じる。第二次長州征伐の際は芸州口の戦いで江戸幕府軍に勝利。慶応2年(1866)9月2日、幕府の代表勝海舟と休戦協定を結んだ。歴史ある山門や観音堂以上に注目を集めたのが、紀州犬のマル住職。現住職と京都・南禅寺の修行仲間で、住職がマルを引き取った後に住職に任命。
もみぢ布団で寝る姿は可愛らしく地域では有名な存在。そのもみぢ布団の上でマル住職が寝ている姿を発見! 可愛いではないか!!
近づいたら問答無用で噛みつかれるけど(笑)う〜ん、なでなでしたい…。
でも、ある程度近づくと唸って警戒する。
そして、爆睡(笑)
とても可愛らしくて地域を和ませる存在だったけど、2020年1月10日に病気のため15歳で生涯の幕を閉じた。今までありがとう、マル住職。自分も旅相棒も和んだよ。