本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
明治34年(1901)に内閣総理大臣に就任し、第11・13・15代を務め通算在職日数が歴代2位(2,886日)の桂太郎。明治42年(1909)に少年時代を過ごした萩に建設された邸宅があり、派手さはあまり感じられず、藍場川沿いの生活を穏やかに楽しむように造られています。
庭は藍場川の水を引き込んだ流水式の池泉庭園で、火山の笠山の石が沢山使われており、萩地方独特の「懸石(かけいし)」と呼ばれる石組等が特徴。
桂太郎(1847~1913)
1847年に萩市平安古で誕生するも、まだ幼い12歳の時に吉田松陰が刑死し、松下村塾門下生にはなっていない。幕末期は第二次長州征伐や戊辰戦争に参戦している。
明治34年(1901)に内閣総理大臣に就任し、第11・13・15代を務め通算在職日数が歴代2位(2,886日)。たえず惜しみなく笑顔を作りながら相手の肩を叩いて好感度を演出することから、「ニコポン首相」のニックネームもつけられている。
政治家として調整能力にも長けており、明治後期から大正初期にかけての国事多難な時期に手腕をふるい、日本が世界有数の近代国家となる上で大きく貢献している。桂太郎は、軍隊の育成だけでなく人材の育成にも力を注いでおり、明治33年(1900)に台湾協会学校を創立(現・拓殖大学)。肖像画と銅像は、拓殖大学が創立100周年を記念して平成12年(2000)に桂太郎ゆかりの地である萩市に寄贈されたもの。
肖像画は複製であり、原画は拓殖大学八王子校舎恩賜記念館に収蔵。内部は玄関、二畳の玄関の間、四畳半の表座敷、四畳の次の間、六畳の奥座敷と土間からなっている。アパート暮らしの自分からしてみれば、小規模でもこんな家に住んでみたいものだ。
心地よい風を受けながら、土間からコーヒーでも飲みながら庭を眺めてみたい。桂太郎旧宅の見所でもある庭。
藍場川の水を引き込んだ、流水式の池泉庭園だ。
石に水をかけると、とてもきれいな音が響き渡る。しかし、適当に水をかければいいというわけではない。写真中央にある丸い黒い石にかけなければ響かない。この辺はガイドの実践で証明してくれる。
一体どういうしくみなのだろうか?水琴窟と呼ばれる地中の空洞の中に水鉢の排水を流す。まず縦穴に流し(←この部分が黒い石)、縦穴を伝って流れ落ちた水が水滴となって空洞の底面に溜まった水に落ち、その際に発せられた音が縦穴を通して外部に漏れるというわけだ。
この音は思った以上にきれいで、静かな旧宅に響き渡る。なんだか涼しくなったぞ。しかし、せっかの音も雨が降っていたらあまり聴こえないのでは…。その辺りは心配ご無用。土間に長い竹の筒が置いてあるので、その竹を耳に直接当てて聞くことができる。竹を使った聴き取りは、天候にかかわらずガイドの実践で聴くことができる♪桂太郎は、大正2年(1913)10月10日に死去。享年67歳だった。墓所は萩市ではなく、遺言により東京都世田谷区の松陰神社の吉田松陰墓所近くにある。
写真は桂太郎旧宅内にある銅像。桂太郎旧宅前には藍場川が流れている。ここは幼少時代の桂太郎の遊び場であり、船を浮かべて、 近所の子供たちと一緒に月夜に横笛を吹くのが楽しみだったようだ。
萩城下町からは離れた場所ではあるけど、城下町で歴史散策楽しんだならば、必ずこちらの歴史も楽しんでみよう。桂太郎旧宅
旅をした日
2012年07月29日
………………………………………営業時間
9:00~17:00
………………………………………定休日
無休
………………………………………料金
100円。小学生未満は無料
………………………………………駐車場
有り(藍場川駐車場)
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
藍場川・旧湯川家屋敷
橋本川の水仙と桜並木
………………………………………最終更新日
2021/05/19
内容一部変更