本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
禁門(蛤御門(はまぐりごもん))の変の責任を負わされ自刃した、元宇部領主・福原越後翁を主祭神として、その家臣が祀られています。当初は維新招魂社と称されていましたが、昭和14年に宇部護国神社と改称。
桜の名所としても知られています。
禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)
禁門の変は、文久3年(1863)8月の改変で、都落ちした藩主の毛利敬親・元徳父子、および三条実美ら七卿の雪辱の為に、木嶋又兵衛が急先鋒となり遊撃隊を率いて京にのぼり、禁門の蛤御門でここを守る薩摩や会津の兵との間で起きた戦い(来嶋又兵衛誕生地の説明板より)
禁門の変で敗れた長州藩は朝敵と見なされ、第一次長州征討へと繋がっていく。
創建は慶応2年(1866)とされる宇部護国神社。主祭神は元宇部領主福原越後翁。禁門の変で戦死した22柱の御霊が合祀され、現在では幾多の戦争で戦死した英霊や、消防団の殉職者など3430柱の御霊が合祀されている。
2010年に福原越後翁の銅像も建てられている。しかし、大垣藩(岐阜県)との戦いで顔を負傷し帰国。
禁門の変で敗れた長州藩は朝敵と見なされ第一次長州征討へと繋がり、保守派である俗論党が主導権を掌握。禁門の変、そして第一次長州征討の責任を取り、岩国の龍護寺(現在は清泰院)で自害。日本最大級の大きさを誇る水琴窟(すいきんくつ)。水滴が落ちると琴のような音色が響くようだ。
水琴窟は、萩市の桂太郎旧宅でボランティアガイドの方に詳しく教えて頂いた。ここのとは少し構造が違うけど、こちらで紹介しておこう⇒桂太郎旧宅