木戸公園の梅里と桜
木戸神社、梅里、せせらぎ広場、森の広場の4つの地区からなる木戸公園。木戸神社地区では桜、紅葉、梅里では梅が楽しめるようになっています。
木戸神社は、維新の三傑「木戸孝充(桂小五郎)」が祭られています。
そろそろ、木戸公園の梅が見頃なのでは? 休みは雨予報だし、仕事終わりに行ってみるかということで、陽が沈んで暗くなることを覚悟で、山口市の木戸公園へ。
なんとか明るいうちに梅を見たい。
予想通り陽は山の向こう側で薄暗くなっているけど、なんとか梅は見れましたな♪
しかも今が見頃だ。蕾も結構あるんだけどね。
この時間帯は肌寒いんだけど、周辺の川の流れる音が心地よく響いて長居ができる。
食べ物なんかを持って東屋で食べるといいね。
日中の青空で見れたらきれいだろうな。
でもまあ、この時間帯でも妙にきれいに見えてしまうな。
木戸公園の梅の満開を日中の青空の下で見る。これが新たな目標だな。旅は一度では終わらない♪
木戸神社地区にある木戸孝允旧邸跡。現在は石碑が建っているのみだが、慶応年間に本邸を建てて、山口藩庁政事堂に通ったとのこと。
さて、木戸神社地区では桜が咲き誇り、お花見を楽しむことができる。
この年は地元宇部の満開はもう少し後になりそうだったんだけど、山口市は全体的に満開を迎えていたね。
木戸公園のすぐ近くには、香山公園や一の坂川の桜並木という県を代表するような桜名所があるので静かな公園だ。観光客はそっちに流れちゃうからね。
公園横には木戸孝充が祭られる木戸神社がある。
死を前にこの地(糸米村)にあった本宅、山林などを村民に与えて子弟育英の資とするようとするように言い残した。村民は孝允の遺徳に報いるため、社を建てて孝允の霊を祭った。
木戸孝允のパネル等は萩市の木戸孝允旧宅で見ることができる。
木戸孝允(1833~1877)
天保4年(1833)、6月26日、萩藩医和田昌景の長男として生まれる。初名は桂小五郎。
17歳の時に藩校明倫館で吉田松陰に学ぶ。松陰の死後は尊攘派として動き、公武合体路線路をとっていた藩論を攘夷に変更させるなど手腕を振るう。 慶応2年(1866)には、坂本龍馬の仲介によって締結された薩長同盟で、藩代表として参席した。
明治政府では版籍奉還や廃藩置県の実現に力を尽くし、後に西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と称された。明治10年(1877)、西南戦争のさなか45歳で京都で病死。
週末はご近所の絶好の花見スポットであろう木戸公園。
梅里もあって紅葉名所でもあるので、季節ごとに開花チェックはしておきたい公園の一つ。
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