木戸公園の紅葉
木戸神社、梅里、せせらぎ広場、森の広場の4つの地区からなる木戸公園。維新の三傑「木戸孝充(桂小五郎)」が祭られている木戸神社地区では紅葉が楽しめるようになっています。
さあ、紅葉めぐりの旅だ! と思って朝起きたら曇りだったのでガッカリした記憶があるな(笑)
なんだか雨も降りそうだったので、遠出はせずに山口市の木戸公園へ。
木戸公園は少し地味なイメージがあるけど、梅に桜、そして紅葉と、なかなか見応えがある名所なんだよね。
いい感じで色づいている。ますます晴天でないのが惜しい。
翌日が雨予報なので仕方ないか。
公園(木戸神社地区)はそれほど広くはないから、約60本のモミジが集中する景観は見ていて爽快。
やっぱり紅葉には池だよね?(笑)
散歩をしながら紅葉を楽しみたいなら木戸公園がおすすめだと思う。観光地でもないので人が少なく、のんびりできるんじゃないかな。
公園横には木戸孝充が祭られる木戸神社がある。
死を前にこの地(糸米村)にあった本宅、山林などを村民に与えて子弟育英の資とするようとするように言い残した。村民は孝允の遺徳に報いるため、社を建てて孝允の霊を祭った。
木戸孝光のパネル等は萩市の木戸孝允旧宅で見ることができる。
木戸孝允(1833~1877)
天保4年(1833)、6月26日、萩藩医和田昌景の長男として生まれる。初名は桂小五郎。
17歳の時に藩校明倫館で吉田松陰に学ぶ。松陰の死後は尊攘派として動き、公武合体路線路をとっていた藩論を攘夷に変更させるなど手腕を振るう。 慶応2年(1866)には、坂本龍馬の仲介によって締結された薩長同盟で、藩代表として参席した。
明治政府では版籍奉還や廃藩置県の実現に力を尽くし、後に西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」と称された。明治10年(1877)、西南戦争のさなか45歳で京都で病死。
木戸神社地区にある木戸孝允旧邸跡。現在は石碑が建っているのみだが、慶応年間に本邸を建てて、山口藩庁政事堂に通ったとのこと。
紅葉の見応えは、他の名所にもひけはとらないと思う。
山口市を旅する際は立ち寄ってみてはいかがかな。
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