山口県の観光スポット、穴場スポット、グルメ&お土産情報を紹介しています。桜や紅葉、四季の花々等、目的別の旅もおすすめ。

本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪

山口県の風景(下関市)

東行庵の花菖蒲園

花菖蒲の名所としても知られる下関市の東行庵。
100種6,000株が咲き乱れ、花菖蒲祭りも開催されていましたが、
現在は約30種類、1,000株に縮小されています。

東行庵高杉晋作(1839~1867)
天保10年8月20日、に萩藩大組士、高杉小忠太の長男として生まれる。幼少時は私塾に学び、後に藩校明倫館、19歳で松下村塾に入門。頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称される。

文久2年(1862)、藩命により情勢視察で上海へ渡航。欧米による支配を目の当たりにし、日本も同じ憂いき目をみるのではないかと危機感を募らせ、翌年久坂玄瑞らと共に攘夷運動を行う。

下級武士や庶民など身分を問わない軍事組織「奇兵隊」を結成。初代総督になる。
東行庵の紅葉

1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊による攻撃での敗北、禁門の変の敗走により、藩内は俗論派(保守派)が実権を握り、幕府に恭順の意を示すために攘夷派に対して粛正を始める。

身の危険を感じた晋作は九州に逃れるも、再び下関に戻ると功山寺に落ちのびていた三条実美ら卿を前に、

これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と告げ、12月14日に功山寺にてわずか84名で決起。

萩藩新地会所を急襲後は、品川弥二郎や山田顕義なども呼応し、最後まで時期尚早と決起に反対していた山縣狂介(後の山縣有朋)も合流し、俗論派を退けることに成功する。その後、藩論を「武備恭順(表向きは幕府に従うが、武備は増強)」に統一し、一気に倒幕へと突き進む。

慶応2年(1866)年6月、第二次長州征伐(四境戦争)が始まると、晋作は海軍総督として小倉口で活躍。しかし、持病の肺結核が悪化し戦線離脱。翌年の4月1日に下関市新地にて討幕を見ることなく死去。享年29。
東行庵

遺言により清水山に葬られた高杉晋作(東行)を弔う愛人うの(後の谷梅処)の為に山縣有朋から譲られた庵。

現在の庵は明治17年に、伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国の諸名士からの寄付により建立されたもので、梅処は明治42年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。
東行庵の菖蒲園

2017年06年14日、東行庵への一人旅。ん? 2017年の花菖蒲? なんと、前回から5年が経ってるのか…。

東行庵自体は毎年来てるので、そんなに月日が経ってるとは思わなかったな。規模も小さくなっていて驚いた。
東行庵の花菖蒲園

以前までは右の写真のように花菖蒲があったけど、今ではこれがまったくなくなって、少し離れたところにハスが浮かんでいた。

縮小した理由は分からないけど、見応えがあっただけに残念だ。
東行庵の花菖蒲園

今後はハスにも力を入れていくのかな? どちらにせよ、勝負の名所としては魅力が半減したのは確か。

撮影していても周りから「規模小さくなってる!?」という声が多く聞かれた。
東行庵の花菖蒲園

過去は下関屈指の花菖蒲名所だけあって、平日でも大勢の観光客で賑わっていた。

小学生や幼稚園児の見学も多い。でも、花自体への興味は少ないようだ(笑) でも楽しそうな光景がいいね。
東行庵の花菖蒲園

ベンチに座って藩菖蒲を楽しむことができるので。満開だと会話も弾むことだろう。

菖蒲園周辺はとても明るい雰囲気に満ちていた。曇りで涼しかったせいでもあるだろう。晴天では暑くて長居はできそうにない(笑)
晋作餅東行かすたあー・東行クッキー

花菖蒲を見ながら晋作餅を食べてみよう。しそ巻きも一緒に。
東行かすたあーや、東行クッキーも美味しい。
梅ソフトクリームや、青うめソフトクリームもおすすめだ♪
東行庵の花菖蒲園東行庵の花菖蒲園

また以前のように規模を大きくして欲しいな。
東行庵の花菖蒲園花菖蒲園の池ではたまにカモが泳いでいることがある。見たのは大分前だけど。可愛すぎる♪
INDEX

東行庵の花菖蒲園

旅をした日
2009年06月08日
2012年06月11日
2017年06月14日
………………………………………開園時間 / 入園料
特になし
………………………………………駐車場
無料
………………………………………東行庵の見どころ
曲水の梅苑と桜
東行庵もみじ谷
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
奇兵隊陣屋跡
木屋川ラブリバーパークの桜並木
………………………………………最終更新日
2021/06/01
内容一部変更


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