本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
天樹院墓所は萩藩を創設した毛利輝元の墓所で、輝元と夫人及び家臣の長井元房の五輪塔形墓石3基があります。
ここは以前輝元の隠居所(四本松邸)のあった場所で、輝元の死後に天樹院(輝元の法号)という菩提寺が建てられましたが維新後に廃寺となり、現在は墓所のみが残されています。
この日は萩のぶらり旅歩きということで、堀内地区周辺を散策。この時に見て回れなかった名所は翌年に大河ドラマ「花燃ゆ」に関連して維新旅をしている。
天樹院墓所には駐車場がないので歩きとなる。入口には毛利輝元卿墓所という碑が立っている。現在は廃寺となり墓所のみが残されている状態だが、墓所の維持管理のために大人20円の拝観料が必要。
入口の所に料金箱が設置されているので、拝観料を入れてからお参りをしよう。毛利輝元は、天文22年(1553)毛利隆元の長男として安芸国吉田郡山城(現在広島県安芸高田市)に生まれました。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたります。
永禄6年(1563)父隆元の死去にともない家督を継ぎ、祖父元就の手によって養育されます。織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、中国地方8か国112万石を領有する大大名に成長し、天正17年(1589)広島に居城を築きます。豊臣政権下では五大老の一人となり権勢を誇りましたが慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで破れ、周防・長門2か国36万9千石にさ削封されました。
慶長9年(1604)、居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城に入城。萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心しました。こちらは、輝元の家臣であった長井元房の墓。
元房は、若いころ萩から逃げ出し他国に流浪していたが
その間も輝元はひそかに元房を庇護。その後、萩に戻った元房を以前同様に家臣として遇した。
元房にはたいへん可愛がっていた猫がおり、忠義の猫として、猫町伝説が残されている。招福堂縁起絵巻は天樹院の末寺、雲林寺で入手だ。
猫は主人である元房亡き後の49日の間、天樹院にある元房の墓前から離れようとはしなかった。やがて、自ら舌を噛んで、亡き主の後を追ったという。で、こちらが猫町伝説の主人公、忠義の猫のよみがえり、萩にゃん。毛利家紋の肉球バージョン入り陣傘をかぶり、首には鈴の代わりに萩の特産品「夏みかん」。服は憧れの人・高杉晋作が結成した奇兵隊の隊服を着用。
好きなものは蒸気まんじゅう、長州おはぎ、金太郎、萩の瀬付きあじ。萩市観光課課長代理に就任し、全国に萩の魅力をPRしている。萩にゃん。 | 萩にゃん。朝の城下町散歩イベントでは、記念撮影や 握手など、萩市観光のお客様をおもてなし♪ |
天樹院墓所
旅をした日
2014年03月23日
………………………………………拝観料
大人:20円
小人:10円
………………………………………駐車場
指月第一駐車場(徒歩4分)
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
堀内まちあるき
萩城跡の梅
萩城跡指月公園の桜
萩城跡指月公園の藤棚
萩城跡指月公園のつわぶき
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………………………………………最終更新日
2022/04/15
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