川崎観音(おっぱい観音)
安産とお乳の観音様として知られる川崎観音。通称おっぱい観音。
手作りの乳房を奉納し、安産祈願や母乳が良く出るよう参拝されています。
また、源平合戦で敗れた平氏の平景清ゆかりの観音堂であり、景清の力石、
目荒い井戸もあり眼病や肢体不自由にも霊験があると云われています。
春は桜、つつじ、藤が美しく咲き誇ります。


国道2号線沿いにあって、いつも目に入っていた川崎観音。にもかかわらずいつも通り過ぎているだけだったので、桜が満開のときに立ち寄ってみた。

川崎観音、通称おっぱい観音を包み込むソメイヨシノ。どうもおっぱいが協調されてしまうが、平景清ゆかりの観音堂でもあり眼病祈願も多い。

ここの観世音は平安時代末期(1183年頃)に平家の平景清が数多くの戦陣を駆け巡るも、観音加護により身に寸傷も受けなかったという十二面観世音菩薩だ。
川崎観音の由来を紹介しておこう。
源平合戦の屋島の戦い(現・香川県高松市)で敗れた平氏の景清は、
一門と共に軍船で西海を下る折に暴風雨にあってしまう。
黒髪島裏に避難したが、早く再起を図りたい景清は観世音に暴風雨を静め給えと念じた。
すると観世音が夢枕に立ち「我を向う山にある寺門に安置すれば風雨静まらん」と。
景清是を信じて疑わず直ちに対岸の寺門に安置すると暴風雨はたちどころに静まり、
無事西海
壇ノ浦をさして下向するを得たという。
景清は平家滅亡後も生永らえ源氏に一矢を報いんと計るも目疾をえて果し得ず、
絶食して生を絶ったといわれている(
景清洞に落ち延びて目が癒える伝説もある)。
この観世音を念ずれば必ず応益があり、特に安産、眼病、肢体不自由に霊験がある。
初めは常に閉扉されていたが、後世に至り12年に一度(子年)開扉され尊像の拝観が
出来ることとなり、地名を取って音羽の観音様として尊嵩されていたが、
後年川崎観音といわれて現在に至っている。

川崎観音の門の右横にあるのが景清の力石。
豪力無双の平景清が観世音を勧請の際下の海岸より担ぎ上げたと言われ、この大石を撫で、自分の腰から下の患部を擦れば治癒に霊験ありと言われている。

こちらは、平景清の目洗いの井戸。目を患っていた景清が井戸の清水で目を洗ったと言われている。後人が常に清潔に保ってきたので、不浄な「金」等を投げ入れると目病になると言われているそうだ。
ちなみに、目の悪い人は自分の定規箸で井戸から出る溝のゴミを取り除くと霊験があるんだとか。

観音堂の裏へ回れば、なんとおっぱいがいっぱい! 箱入りの乳絵馬だ。
すべて参拝者の手作りであり、
「母乳が良く出ますように」等と書かれている。

簡単に作られているものもあれば、妙にリアルなものまであったりする。箱も可愛く凝らしているものある
毎月17日には縁日が開催されているようだ。

川崎観音は桜もきれいなので、周南の桜めぐりの際は立ち寄ってみてはいかがかな?
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