本州最西端に位置し、三方を海に囲まれ自然美にあふれた山口県。
今日はどこを旅してみようかな♪
幕末維新の志士 である高杉晋作の慰霊地で、晋作の霊位礼拝堂として明治17年(1884)に創建された東行庵。周辺は自然公園になっており、11月下旬頃から約100本の山茶花が見頃を迎えます。
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東行池の傍(県道側)に山茶花の小径というのがある。
小径というだけあって2人も並べないほどの幅の狭い道に山茶花が並んでいる。


2025年は寒波が長引いて梅の見頃が3月中旬になるほど寒い日が続いたけど、それが関係しているのかは分からない。元々3月くらいまでは楽しめるのかも。
東行庵の旅は紅葉が終わると、梅が開花するまで旅をすることが少ないから山茶花を見る機会は少なかった。


県内では山茶花の名所というのはあまり聞かないので、東行庵は県内でも屈指の山茶花名所になるんじゃないかな。
11月では白い山茶花を見ることができたけど、3月では赤とピンクのみだった。山茶花にも早咲き品種とかあるのかな?
これも知らなかったんだけど、11月下旬にはサザンカ・ツバキ祭りも開催されているらしい。
紅葉や梅を見に行く際は、山茶花の小径も歩いてみてはいかがかな。
高杉晋作(1839~1867)文久2年(1862)、藩命により情勢視察で上海へ渡航。欧米による支配を目の当たりにし、日本も同じ憂いき目をみるのではないかと危機感を募らせ、翌年久坂玄瑞らと共に攘夷運動を行う。
下級武士や庶民など身分を問わない軍事組織「奇兵隊」を結成。初代総督になる。
1864年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四国連合艦隊による攻撃での敗北、禁門の変の敗走により、藩内は俗論派(保守派)が実権を握り、幕府に恭順の意を示すために攘夷派に対して粛正を始める。
身の危険を感じた晋作は九州に逃れるも、再び下関に戻ると功山寺に落ちのびていた三条実美ら卿を前に、「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と告げ、12月16日に功山寺にてわずか84名で決起。
萩藩新地会所を急襲後は、品川弥二郎や山田顕義なども呼応し、最後まで時期尚早と決起に反対していた山縣狂介(後の山縣有朋)も合流し、俗論派を退けることに成功する。その後、藩論を「武備恭順(表向きは幕府に従うが、武備は増強)」に統一し、一気に倒幕へと突き進む。
慶応2年(1866)6月、第二次長州征伐(四境戦争)が始まると、晋作は海軍総督として小倉口で活躍。しかし、持病の肺結核が悪化し戦線離脱。翌年の4月14日に下関市新地にて討幕を見ることなく死去。享年29。
遺言により清水山に葬られた高杉晋作(東行)を弔う愛人おうの(後の谷梅処)の為に山縣有朋から譲られた庵。
現在の庵は明治17年(1884)に、伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国の諸名士からの寄付により建立されたもので、梅処は明治42年(1909)にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。東行庵の山茶花
旅をした日
2022年11月09日
2025年03月14日
………………………………………開園時間 / 入園料
特になし
………………………………………東行記念館(開館時間)
9:30~17:00
休館日
月曜日(祝日は開館)
拝観料
大人300円・小学生200円
………………………………………駐車場
有り(無料)
………………………………………東行庵の見どころ
梅と桜
花菖蒲
ハス
もみじ谷
………………………………………周辺の立ち寄りスポット
奇兵隊陣屋跡
木屋川ラブリバーパークの桜並木
………………………………………最終更新日
2026/01/04
新しく追加